いつまでも幼稚園児

書く練習、書くリハビリ

つまんねー でも面白い世界にするんだ(また決意)

 

毎日「会社を辞める」で検索してますが何か。

ネットに答えなんかないしwebはバカと暇人のものって思ってるし普段企画する時や楽しいものに出会いたい時はだいたい本屋に行ったりするものであってネットなんか集合愚なんだと思ってるはずなのに、つい検索しちゃうのはね、人間は理屈に合わない生き物だからね、たまに、自分が思ってることは普遍的かどうか正解かどうかってことを確かめないと不安になっちゃうんだろうなあ。

知恵袋って釣りもあるんだけど、人生が詰まっていて案外面白いね。高密度でないけど、週刊誌のお悩み相談的な、大衆の動向を知るにはいいかも。

 

自分の欲望を認めるとだね、どうも、やっぱり、普通の人ではいたくない、自分の好きなカルチャーの分野で、自分の名前で認められたいという欲求が強くあるらしい。

今まで一作も小説を書き上げたことがないくせにとか馬鹿げているとか思うこともあるんだけど、とりあえずひとまず素直に認めることにする。

●人を見返すため

●自分だけに見える世界(能力)を人から迷惑に思われること以外に使いたい(意味があることだと認めさせたい=自分が生きる意味があると証明したい)

ハイカルチャーの面白い人たち(刺激的な人たち)と交流したい、ある意味サロンに入りたいってことやね、文壇とか形骸化して腐ってるって聞くけど、憧れは憧れだもの。そこに入ればどんどん道はひらけると思っている。案外自分は運を持っていると信じている。現にいまだって、広告業界で一線に行きたい人にとってはそれなりに最高の環境だとは思う。自分はいままったくそれに価値を感じていないが。人が喉から手が出るほどの場所にいるとも聞く。

●精神的な安定を考えると両親が元気なうちにデビューするのが目標。たぶん、どちらかもしくは両方が欠けた状態で書く私は今の私と360度違ってしまうだろうと思う。もしくは書けなくなるか。それぐらい、両親の存在は自分には大きい。いい意味でも悪い意味でも。創造的自立のためにも、自分のペースを守るためにも、一人暮らしすべきなのかな…。

25歳の1年間で広告以外の賞を取る。27歳までになんらかの文学賞を取る。29歳までにデビュー。およそ、こういう算段です。

 

風立ちぬ」映画面白くなかったけど、カストルプの台詞「創造的10年を生きなさい」にはいたく感動した。そして焦りも出る。創造的10年って?バスケを完全にやめることができた18歳から?見栄を張るためのサークルをやめて自分の好きな方向に足を踏み出した20歳から?それとも、広告が「誰も聞いてない演説」であり会社では自分を殺し続けるだけでありここにいるべきではない、もう仕事でがんばるのをやめようと強く意識した3年目の終わり(つい2ヶ月くらい前)から?

いずれにしろ、30歳前後であることは間違いない。

25歳も半分を過ぎてしまった。そろそろやばい。

夏は他のことよりも作品作りに時間も頭も体力も費やそう。まじで。

じゃないと、後悔する。

西加奈子さんは25歳だ。恩田陸さんは26歳だ。

でも、このタイミングで自分の人生にとって意味のないことと意味のあることにはっきりと気づくことができたのは素晴らしいこと、ラッキーと思う。

 

かつてたぶん好きだった(今は認める)Tが世界最大の広告賞に派遣されることになった。でも、それをうらやましいとはまったく思わない。自分自身が広告に対して熱を失っているからだ。向上心が見事に消えている。趣味であった自己研鑽だってやってない。自分の未来に対しては無駄だと感じたからだ。

 

マジでむかつく。19Fでも評価されてるようでかなりムカつく。自分の時と処遇の違いを感じる。やはり男は違う。それも見栄っ張りの、大してがんばっていないのに勢いだけで自分を時分以上に見せられる奴がアピールしたらそうなるだろう。そういう奴こそ評価される会社なのだ。だから、アイデアとかもうがんばらない。評価も最低でいいやと思うようになった。打ち合わせでも一定の案をもっていくことはクリアするが、面白い案を考えて自分の案を通す(実行に移すぞ!)という気概がまったくゼロになった。本当に本当に気が楽だ。Tの好奇心とまあ予選突破しただけの力は認める。でも、絶対にもう信じない。奴と会話しても、心を絶対に許さないことに決めた。奴は損得勘定だけで動き、人との仁義をいとも簡単に切るようなやつだから。決めたからには安心だ。不安だったのはすこしはTを信じようとする気持ちがまだあったから。もう大丈夫。

Tを見返すというのは、これからの自分の大きなエネルギーのひとつになるのは間違いあない。芥川賞を取るしかない。決めた。がんばるぞ。

N村A奈の裏切りももちろん加味する。これは作品に昇華する。そして、後悔させてやる。湊かなえのこと、えげつないし執念深いし性格悪そうだけど、わからなくもない。

虐げられているように感じる時というのは、自分の反動エネルギーにとっては必ずしも悪いことではないかもしれない。今までの人生を考えるともしかしてプラスになる気さえする。

 

いまの仕事の場で価値がおかれる能力が自分にはなかった。(ただし、文化創造でなく、「誰も聞いていない演説」をつくるような、生活者にはある程度必要だが、作業中に知的好奇心をまったく使う必要がないつまらない仕事だと断言できる。正確にいえば、自分の隣の部署やちょっと違う部署ではもっと自分の能力が評価されたり、真の創造性が評価される場所もあると聞く。しかし、今の政治権力とかくだんねーパワーバランスですべてが決まるつまらない19Fクソ世界においては自分のサバイバル能力はゼロに近いと判断することにした。異動すれば解決するのかもしれないが、自分ではどうにもできない会社人事について悩むのは時間がもったいない。もう自分を殺さない。心のマシンガンでぶっぱなす。)

これははっきりとわかり、会社で生きる自分をあきらめることができた。

だが、自分の創造性にははっきりと自信を持つ。

 

もう会社で生き延びることを考えなくていいので、どうでもいいクソおっさんやどうでもいいクソ同僚のdisりを真に受ける必要はない。へらへらと笑って、口ではそうですか、真摯に受け止めつつも、さらっと受け流す。

 

 

本当は気持ちが両立できないから会社辞めたいんだけどな。

たぶん、転職活動をして17時に帰れるべつの会社に入って、っていうのは転職の準備やら入れたとしてもそこでまた1から仕事覚えて…っていうのは何事も器用に両立できない自分は意図せずそこに時間と精神を注ぎ込むはめになってまたストレスが貯まってたぶん本末転倒だと思う。今ストレス貯まって爆発しそうなのにしょうがないけど、もうしばらくは、今の場所でできるだけ仕事にエネルギーを費やさずに文章を書き溜めてデビューの道筋を掴むかってことだと思う。

まず、いまやりはじめなきゃいけないのは、小説をかきはじめて、習慣化すること。

書きたいテーマは固まってきた。やるぞやるぞやるぞー!

 

時間がほしい。集中できる心が欲しい。

辞めて、飲まず食わずでお金使わず、部屋に閉じこもって(強制的に閉じ込められたい)積読本をひたすら読むというのを1ヶ月やってから、小説執筆に移りたい。

軽犯罪犯して、刑務所の独房に入るのがいちばんいいんだろうな〜〜〜笑

高橋源一郎水道橋博士が対談で言ってたけどさあ。