いつまでも幼稚園児

書く練習、書くリハビリ

えーぞーしんたい

の人たちに対して、すごくもやもやが多いんだけど、すべては小説の肥やしになると信じている。調べてみたら、名作残してる人に鬱病の人多すぎだから。ビバ考えすぎ!
えーぞーしんたいの人たちは、ひとことで言えば、汗をかくのが嫌いなのにプライド高い人たちだな。卒業後、こちらはただ純粋にやりたい方面に向かって練習したり真実を言っただけで、かなり仲良いと思ってた人のプライドを損ねたらしく、何人も疎遠になってしまった。友情を続けたい人もたくさんいたから残念だけれど、それぞれの人生のステージが変わっていくのだから、しかたがない。友情に人一倍悩んだから友情に人一倍こだわり続けてきた私だけれど、どうしても続けようと思わない境地にようやく達することができた。そもそも無理やり続けようと思うものはすでに友情ではないんだな。
べつにこちらが高みに達したわけではないしえーぞーしんたい的なはずかしい部分はまだだいぶ持ち合わせているし、えーぞーしんたいは一応こころのふるさとだ。だから、こころから手放す気はないけど、ステージとしては通り過ぎる場所だったと今は感じる。そのとき一緒だった人といまの時期、離れてしまうのもしかたない話だ。ゆるくつながっておいて、またいつか、ババアになってからでも、再開できれば。極端な絶交とかは、ほんと子供じみすぎていると思うから。
どうも、自分の悩みや将来についての真剣な思いを語り合うには、えーぞーしんたいの人は向いてないと感じるな。。もちろん、自分だけ特別、とかさらさら思ってるわけではないんだけど、自分の知ってるえーぞーしんたい人は、他人の真剣な思いから逃げたり汗をかいている人を茶化す傾向にあると感じる。全えーぞーしんたいの人と知り合いなわけじゃないから、そういうこと語り合える人もいるんだろうけど。。

友情のメンテナンスは必要。でも一方通行はやめよう。自分の持ち味を認めてくれる人とだけ積極的につきあうべきだ。

えーぞーしんたいを舞台にした小説はぜったいに書こう。愛をこめて。だから、この幾多の試練がすべて生きるはず。人間関係がほころんでも、かなしまないように。