いつまでも幼稚園児

書く練習、書くリハビリ

ともだちをなくす方法

…こういう類いの新書なら書けると思う。

「人をドン引きさせる方法」

「絶交万歳!〜人間関係スッキリ大作戦〜」

みたいな題名でいいかも。

 

わっかんね〜って感じ。

ブログ書かない間に小説講座1期は終わり、これが本当に素晴らしかったので、2期も行ってて、今日がその1回目で、だいぶ楽しかったんだけど、いい気分で帰ってたら、冷や水を浴びせられるようなことがSNSであったわけさ。

ある友人があるレストランに外国人と行っていて、その旨をつぶやいてたのね。そんですごく楽しそうだから、絡んだの。リプライ。某サイトで出会った外国人とそのレストランに行ったの〜?って。そしたら言葉少ななリプが来て「違う。悪いけど、消してもらってもいいかな」え?と思ってその後すぐ消して「ごめん、消したよ。」と送ったけど、その後、まったく説明なし。自分が悪いと思った時には、すごく気を遣って、メッセージとか送ってくる人だから、その短さと説明のなさから怒りが読み取れる。某サイトを利用してることをほかの人に知られたくなかったのかな、悪かったかな、とすこしは思ったけど、?のほうが大きい。だって、恋愛ネタや合コンネタも書いてたし、たしか前にその某サイトのことも書いてた気が…。本当に怒りの沸点がわからない。懲りたけど、その子には絶対に冗談は通じないんだ、と痛感した。軽口というか。しばらくこちらから声をかけるのを断とう。前にこちらが誠意を持って伝えたことに対しても「エクスキューズはいらない」とばっさり斬って捨てて来たから、「ごめん」とか「どうして?」とかこちらがすり寄って行く必要もない。むしろ、相手の対応にこちらが逆ギレしそうになりはじめた。だって、私の何が悪いの?うん、パンチ出さないように、静かにひっこんでよう。自粛。

気づいたけど、自分は身近な人に、けっこうたわいない冗談を笑って受け入れてもらいたいという欲求があるのかも。ほんと、こればっかしは、感性が近いかそうでないかだと思う。べつに一致する必要はないけど、冗談言ったら怒りだすような人とはなかなか付き合って行くのが難しい。

これは同性のともだちにかぎらない。S藤もK林も。とにかく、自分は神経質な人には合わないと感じる。怒らせてしまうから。しかしそれが悪いから変えるべきとは思わない。それは自分の持ち味だから。それを理解してくれない人とは付き合う必要はない。のんびりした人しかだめなんだろうなあ。

残念だなあ。まあ、待つけどね。近年かなり仲良くしてるから、完全に切れるとかはないと思うけど、また溝があくんだなあ。まあいっか。まあ、彼女はプライド高いし、意識高い系とか汗かく系(私は自分のことそうだと思ってないけど、彼女は私のことをそう思ってる)が嫌いなのは確かだから。会社の話とか転職の話とかする時に「幼稚園児ちゃんは〇〇(私が所属する会社)だからいいじゃん」と言っていてマジで辟易した。ああ、この人も、そういう見方なのか、と。肩書きや大局を見て、個を肯定しない人なんだなあ、と。とても残念だった。

んー、でも、けっこう気を遣う人なのに、そういうことする、ってことは、しばらく切れてもいい、っていう覚悟の合図だろうな。連絡もだし、堪忍袋も。怒りのスタンプカードたまりやすい人っぽいから。こちらに合わせるのは疲れたのだろう。わかりました。おおかた、Nと私の悪い話で盛り上がったのだろう。こちらもそちらがまた話しかけてくるまで黙ってよう。すぐに修復しよう、とは思わないから。自然治癒を待つ。そうならなければそうならないだけの関係だったということ。

女の友情って本当に難しいと思う。失恋で共感した時しか接近できないのかしら。

 

ぐちゃぐちゃ書くのも悩むのも小説の肥やしになると思うから、今はすごく楽だ。

しかし、本当に、不思議。怒りっぽさって自分の人生が面白くなっていくチャンスを広げるのには損だと思うけどな。