いつまでも幼稚園児

書く練習、書くリハビリ

20140204~07

 

3日は、豆まきしなかった。

 

4日の夜は、母とすこし衝突する。泣く。アスペルガーの本を購入したことに対して、否定的なニュアンスの台詞を言われる。こちらは生きるか死ぬかの問題で、真剣に向き合おうとしているのに。深夜、母にメール送る。

 

5日は、朝起きると、部屋の外から母の声が。「夢(私の名前)がつらいとあたしもつらい。私もずっと生きづらかったよ。」泣きながら会社に行く。中央線の車窓から見える風景は、白い屋根が続く。昨夜すこし雪が降ったからだ。見慣れた風景も、だいぶ違うものに見える。日々の仕事も、この風景のように、毎回わくわくして新しいものをして前向きに受け取れればいいのに。涙が出過ぎて、9時半定時に出社するのはやめて東京駅のトイレでしっかり涙を拭いて、軽く化粧して、10時に出社。

所属部署のえらいひとに「〇〇先輩につきたい、席も近くしてほしい」「CMに軸足をおきたい」と、何度も練習した落ち着いた言葉で言う。メモを見ながら笑顔で。おまえ生意気だよめちゃくちゃなこと言ってんじゃねえよ、と文句言われて終わることとかネガティブな結果を予想に持ちつつも、案外いい反応。「ちゃんとじぶんのことを口に出して言うことはいいことだ。」とか。正直、仕事全般に対してはかなりモチベーションが下がり希望が失われてはいるから、前向きな意見といったら嘘になるのだが、障害を抱えた自分がとにかく日常という戦場を生き残るためだ。文句言われないための場所がほしい。とにかく言ってやった。これでもうどうなってもいい。とりあえず、

ランチは久々の班員と。6人のはずが、みな打ち合わせ入ったとかで、私含め3人。入社時の研修には「とんでもない会社に入ったな…」と絶望したものだけど、班制度が会社をやめさせない制度だって知っているけど、班制度も悪くないなって。こいつらと食べるとホッとする。所属部署にいると常に水面下の攻防が感じられて息が詰まりそうだから。とにかく居場所はゲットしたいけど、来年は会社がメインでなく、自分の個人的な作品作りをきちんとやることが大事だから。

夜は、下高井戸シネマで「マイマザー」を見た。心揺さぶられた。いい映画。人間同士の感情のぶつかり合いの純度が高い。飾りがない。最近、母と自分との関係をずっと考えていたから、興味深かった。ドランが19歳で撮ったなんて…早熟すぎるね。16〜17歳にしかないきらめきっていうのは、だいたい本人はもっと大人(25なのか30なのか40なのか)になってからじゃないとわかんないように思う。でもドランはそれを19歳の時点でわかって世界を切り取っているんだ。大人にならないとわからないのは、凡人か。いや、5歳くらいから大人の世界で仕事をしているドランはもう早い段階から大人だったんだよね。

日本の有名子役も、俳優になって大成しないというのがよくあるけど、ドラン方向で監督とかになったらいいのね。

 

6日はCM撮影立ち会い。多摩センター→調布のハウススタジオ。

7日もCM撮影。六本木の居酒屋。意外に早く解散。会社で出張申請して、帰る。気づいたら憧れてた案件に携わってはいるのだけど、どうせ自分は障害があるから人に信頼されたり、仕事まかされたりするのは無理だと思う。わからないことだらけ。ルールがわからない。毎回ショック受ける。どんな仕事でも無理。人との調整とかその最たるもの。面白いアイデアとかどうでもいいらしい。いや、面白いアイデアが賞賛される場所もあるけど、私はそういう場所にいない。組織内での立ち回りがうまく、人との調整がうまく、愛嬌もあり、誠実(に見える人間)で、かつ「まともな」「説明がしやすく」「理屈がしっかりしている」ものを考えられる人が重宝されるのだ。私はそのどれにも当てはまらない。いつかクビになるのを待つばかりか。

同じ仕事に入っている先輩が妊娠した。いいことだと思うけど、私特有の個性からプチ衝突というか私は仕事仲間として絶対に信頼されていないと思うのだけど、その案件自体は人との関係も慣れてきて楽しいと思うようになってきたから先輩がはずれるのは残念だ。先輩おめでとう、でなく真っ先に自分の心配する何てエゴだよね。でも、なんとなく、先輩がはずれる時点で、自分もはずされるような気がするんだ…。覚悟しておこう。2年担当できただけでもよかったと思うことにする。