いつまでも幼稚園児

書く練習、書くリハビリ

2015年総括

約170本映画を観た。
約60冊本を読んだ。
小説講座に行き始めた。
小説を完成させることができた。
3つ、短編小説を書いた。
水泳を始めた。
フットサルを始めた。
合コン的なものに初めて行った。
漫画の仕事の第二弾がネットで話題になった。
山形ドキュメンタリー映画祭に行った。
3回は旅行した。(すべて国内。日帰り含めると4回)
転職活動をした。

世間のルールやことわざとして知っていたつもりになっていたことを実際に体験して本当の意味で知る(実感する)ということが多かったような気がする。痛いことばかり。ああ、成長って痛みを伴うものなのね。マジで。私が今まで大人になったと感じた瞬間は、決まってひとに裏切られた時だった。
そして、小説も、知ってることしか書けないんだな、と。これを実感したことはでかいね。知ってることしか、リアリティが出ないのね。背伸びして読書はいいが、背伸びして書くのはやめよう、と決意。

こうして一年間を振り返ると、精神状態はあまりよくないけど(心がすこやかじゃないけど)、できたことは多い。できなかったことよりも、できたことを考えよう。

最近見た中ではまあまあよかったドラマ、NHK地域発ドラマ「泣いた赤鬼」(山形)で、まわりの同年代が成長していく中で数年間自分だけが停滞していた、と嘆く主人公に、親友がこう言う。「停滞じゃなくて、熟成していたんじゃない?じっと潜る時間も必要だったんだよ」


2016年は、
直感に従う。
他人の尺度に従わない。
という目標で行きたい。

具体的には、

中編か長編を書いて、賞に応募する。
長く付き合えるような、恋人をつくる。
仕事を変える。
お金を使わない。貯める。
(部屋の片付けを完了し、独り暮らしを検討)

です。

2015年のカルチャーのインプット量はものすごかったけど、多すぎても活かせないから、アウトプット多くする。
映画見る時間があったら、できるだけ読書にする。

昨日は箱根駅伝のスタート地点に母と行った。色鮮やかな塊が歓声の中一瞬にして駆け抜けていくのを見て、なんだか元気をもらった。
今日は近所の神社へ両親と。三人健康で暮らせることはありがたいし、喧嘩も時々するけれど、言いたいことを言い合えるのは家族だけ。一緒に過ごせる時間を大事にしたい。元旦、両親と兄一家と過ごす時間も楽しかった。私も将来を共に過ごす自分の家族がほしい。そっち方面も真剣に考えよう、と決意したのが、去年の大きな変化のひとつでもあったかも。

新年早々のコップのフチ子みくじは凶でした(笑)

映画祭に来てる

三回目の参加、某映画祭。
会いたくないひとに複数会う。
心は正直だ。人間は正直だ。
敬意を払えない・払ってもらえない相手のことを好きで居続けることはできない。
執着が見事に瓦解した。
この人たちと関係を続ける必要ない。と心がはっきり言っている。
もうにやにやしなくていいや。
映画の話題だけでベラベラしゃべれるのは救いだった。

あ、映画はとても面白いです。相変わらず。


体育館で

集まっている。若いひとたち。200人くらい。
パイプ椅子、5人くらいずつ、膝突き合わせて話す。
途中、なぜか、縄で首を吊ろうとして死にそうになる(顔が青くなり泡を吹く)人がふたりほどいるんだけど、誰も気にかけない。会社の隣の席の後輩もそのひとり。なんなんだろう。いや、自分も見て見ぬふりか?
それから途中コンビニに行き、そこはなぜか一部まんだらけみたいになっていて、使用済みだけど価値のある骨董品みたいなサンリオのイヤフォン(パステルピンクにしてパステルグリーン、キキララとか)をいくつか猛烈に欲しいけど財布忘れた…取りに戻るまでに他の人が買っちゃう!わーどうしよ、みたいに思ってた。昨日あれほど無駄遣いはやめようと思ったのに。
夢でした。
けっこう会社の人出てくるものだね。一昨日は、苦手な先輩に君は本当にダメなやつだと怒られてる夢を見たし。そう思われてるんだろうなあ、という深層心理が出たのかしら。

ミランダ・ジュライの新作インタビュー集がとてもよかった。

夢で

ものすごく気が合う人と出会って
(何気ない話をしているだけなのに)
すごくうれしい気分になったのに
(男女問わず、こういう人ができるというのはうれしいという感覚なんだということを思い出す。恋人が欲しいとか友達が欲しいとかそういう明快なことじゃなくて、とりとめもないきっかけから仲良くなる人が欲しいということなんだと思う。)
夢で、がっかりした。
でも、なんか満たされて幸福な気分。
前も、ずっと会えてない人に夢で会えて、なーんだ夢か、とがっかりしながら、まんざらでもない気分になったっけ。
誰かと仲良くなりたいという欲望ゆえに見た夢なのかな。
今回は10歳くらい上の会社員という感じだった。見たことあるようで見たことない人。長袖シャツ、黒いネクタイ、スーツのズボン。

最近、親しいと思っていた人たちとの断絶はよく感じていて、ショックも大きかったけど、かなりあきらめて、いい意味で吹っ切れて、孤独を受け入れようと思っていた所なんだけど。

ダラダラしようと思うと

仕事が入ってくる。。

でもなんとなく憑き物が落ちた感じして、何がなんでも辞めよう、って感じではなくなってきた。転職活動はしばらく休もうか。。

まだ自信ない期に入る。
仕事があるってことだけでもありがたいことなのかもしれない。


なかなか小説が書けない。
習慣にしないとダメだなー。

共犯

台湾映画「共犯」観た。
素晴らしかった。好み。

友達が欲しすぎて、暴走する子供達。
わかる、わかるよ。
劇中死ぬ人物はふたりいるが、
ふたりとも、その渇望ゆえに苦しみ、
戦場(学校という場所あるいは青春という期間)を生き延びることができなかった。

せつない。

みな、自分以外の気持ちはわからず、自分だけ孤独だ、と思っていたが、実はみんな孤独だったのだから。まあ、その時点でそれがすんなりわかっていたらとっくにみんな友達になれているのだろうけど。
なんでこんなコミュニケーションって難しいんだろうね。難しく考えないで、とりあえずやってみる、というのができないんだよね。

映画を観ていて、学生時代の友達って、たしか、ささいなことで仲良くなって、ささいなことで離れていったなあ、ということを思い出した。そのへんのリアリティも上手く描けていた。

劇中死ぬ男子の願いもせつないけど(死んじゃった後でみな同じ気持ちだったとわかる)、
女の子の素直になれないけどうらやましいから友達になりたいという気持ちも痛いほどわかるなあ。

ほんと、ささいなきっかけで、死なずに、生き延びることができたかもしれないのに。せつない。

片桐はいりさんのもぎりイベントに。

インドやハワイの映画館の話が面白かった。
自分も、純粋に、映画文化や映画館で映画を見るってことが好きなのだということを思い出した。
アカデミックな見方をしたり、面白い批評をする人ばかりまわりにいるから、自分もそうならなきゃ、と思い込んでいたけど、正直、苦しかった。誰も自分のことなんか見てないのに気にしすぎてた。私は、頭ではわかっているのだけど、「人は人、自分は自分」と心で納得するのが難しい。好きなものなのに、嫌いになりそうだった。
もう1回原点に戻ろう。

キネマ旬報のひとがうらやましい。
私も文化をつくる仕事がしたい。